(2013/10/14)
10月になったというのに半袖であるくのが当たり前な顔で、季節の感覚はかんたんに滑り落ちていく。夏は終わったのだとばかりおもっていたけれど、真夏日がきたというから、なんだかそれってとてもぶきみで、「暑いですねえ」という挨拶にとどめておくことのできないぶきみさがあって、落ち着かない。毎日がつづいていくことの何もかもが明日終わってしまうとは思わないけれど。こういうぶきみさ全てに馴れてしまったときに日々は横滑りして別のところへ接続されていくんじゃないかという気持ちで、でも、わたしは、そういうことに確信をもたない。ただ単に落ち着かない気分だ。(何もかもが明日終わってしまうとは思わないのも、なんだか、能天気な様子だな、「終わってしまう可能性」を何もかも見せつけられて。)

*

8月はひとりで旅にでた。金沢21世紀美術館で『内蔵感覚』展をやっていて、志賀理江子さんの写真の展示がおこなわれていると知り、どうしても見にいかなければいけないような気がずっとしていた。自分の誕生日はどうやってすごそうとおもったときに、そうだ、写真を見にいこうと衝動的におもったので、旅にでる2週間くらい前に決めた。
『現代思想』の、2013年5月臨時増刊号の、「総特集 東松照明」に、志賀理江子さんの対談がのっている。いいわけ程度にふれられてはいるけれど、重要な論点は東松照明とぜんぜん関係ないところにあるような気がする、でもこのなかの志賀理江子さんのひとことがとても、共感と、同時に、そんなものからはみでるおそろしさと、わたしなんかの脆い足場を破壊するにはじゅうぶんな純度を持っていて。世界に対峙するこのまっすぐな視線はなんだろう。

私が震災を経験して一番強く思ったのは、違和感についてのことです。違和感はもともとあったのです。しかし、その違和感がないような世界が一晩だけありました。それは恐怖だけの世界で、すべてが水の中にあって、これもあれも、あなたも私も、このビルも水の中にあるといった均一な世界が広がっていた。それを経験したときに、私は幼少期から抱えていた「違和感」があるとか言っていたけれど、この違和感のない状態というのは、ここまでかと。私の違和感っていったい何だったのだろう、と。くそくらえだ、甘かった、と。だから、何によって私の違和感はつくられたのだろうと思ったのです。私の身体にあったものは、本当の違和感ではなかったのです。何か作られた違和感だったはずです。それをすこしでもなくすために写真を信じていたかもしれないけど、あの晩の違和感のない世界は、私が写真をやることで求めていたそれとは全然違っていた。

21世紀美術館にははじめて行ったのだけれど、内側のなかに外側があるように、ガラス張りで内側と外側が継ぎ目なく繋がっていて、夏のつよすぎる陽射しで、白い壁はいよいよ白く。ちいさな部屋がたくさんあって、その内側の内側はうっすらとした暗やみで、そこに外側はなく、紫外線に曝されていた肌がひんやりとして、それまで歩いてきた長すぎる道のりをわすれた。
そのちいさな部屋のひとつに志賀理江子さんの写真が展示されていた。壁四面が写真で埋め尽くされて、オリジナルプリントが剥き出しで展示されているというそれは、ひとつひとつがゆるやかに撓んで、光沢がうす暗やみのなかのわずかな光をとらえて反射していた。そこにあったのは、おそらく、だけれど(実物を見たことがないので)、『CANARY』のぜんぶの写真だったんじゃないかとおもう。とくに印象に残った写真や、そこに写っていたものについて、ことばを尽くすのは無意味だから、何も書かない。
すこし擦れただけで傷がついてしまうというその写真たちは、無防備すぎる夏休みのこどもたちと、神経質に写真をみはる学芸員とのあいだの緊張感に包まれていた。かつてまっすぐな、切実な目で切り取られ、つくられた写真は、そのときわたしをするどく睨みかえしながら、やわらかいその表面は曝けだしたままで。生きものみたいだな、とおもった。しずかな部屋でひとつひとつが呼吸していた。

*

きっかけはわすれたけれど、8月のなかばに藤田貴大さんの『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』を読んだ。戯曲はほとんど読んだことがないので、知ったようなことは何も書けないけれど、このことばが、リフレインが、身体から放たれて立体的なかたちになったとき、どんなふうになるのだろうと興味がわいたし、とてもすきな本だとおもった。ちょうど、今日マチ子さんの『cocoon』の舞台化をマームとジプシーでやっているころだったのだけれど、人気があるようだったので、観たいとおもいたっても観られないだろうな、とあきらめた。
でもずっとひっかかっていたので、9月のはじめに、『ユリイカ×川上未映子×マームとジプシー』を観にいった。演劇ではなくて、川上未映子さんのテキストをマームとジプシーが演出するというものだった。
8月も終わればだいたい、夏のとつぜんの大雨には慣れているものだけれど、その日原宿駅を出るとひどい土砂降りだった。バケツをひっくり返したような、という陳腐なたとえをつかうのも厭わないくらい。靴もぜんぶ濡れてつめたくて、居心地がわるかった。プレハブ建築の屋根につよい雨が打ちつける。その音が反響して、ほんとうにどこかの山小屋のなかに来たみたいな気持ちになった。その反響はずっと微かに、息づかいのようにつづいていて、効果音の一部だったのかよくわからなくなっている。
川上未映子さんのことばはときどきうねりになって意味をこえて、ことばが何もかも飲みこんでしまって、ことばがことばの機能をこえる感覚があるようにおもっている。でもそれは音のことばではなくて、視覚のことばで。ひとを圧倒する。それをじゃあどうやって、立体的に置き換えるのかな、とおもっていたけれど、それもまた意味から引き剥がされていた。意味、というか理解してほしい、という意思。そういうエゴから、ことばは独立していた。ただ溢れて収拾のつかなくなった感情がことばのかたちをかりて、ことばのようなかたちをした、音の塊になって、反響、またはバウンドしながらどんどんぶつかってくるみたいだった。何を言っているのか、何を伝えたいのかなんて、なんとなくしかわからない。そのことば自体は知っているし普段もつかうことばの筈なのに。でもわたしは音の塊を浴びて痛いくらいだった。ことばが跳ねるのをはじめて見た。たぶん、会場がもっと広かったら、自分のひみつがつくれるくらいの広さだったら、無防備に泣いていたとおもう。雨に濡れてつめたくて居心地がわるかったのなんていつの間にかわすれていた。ぶたれたあとみたいに皮膚が火照ってふるえた。

*

ところで、わたしの明日は、明日として、つづくのだろうか。つづくのなら、つづく限り、こうやって振りかえってことばで埋めて、埋めたところをまた明日につなげる。そうやっていないとなんだか、落ち着かなくて。日々はつづいているのだ、という仮定さえ、無意味な規則のようで、こういう所在のなさに抗うかぎり、ことばは、つづく。